top of page

私が政治活動を始めたきっかけ

私さの大輔がなぜこのような政治活動を始めたのか。

まずはこちらを皆様にお話ししたいと思います。


1番の大きなきっかけは故郷であり自分の住むこの燕市を人任せにするのではなく自分が責任を持ってこの街のために尽くしよくしたい!そういう思いから今回このような活動を始めました。


この思いに至ったのには5月の県議補選に選対の事務局として関わったこと、そして、かつて燕市議を2期務めた叔父の浅野金六の影響が非常に大きいです。


まずは、叔父の浅野金六についてです。

叔父は合併前の旧燕市と合併後の一番激動の時期に燕市議を2期務めました。

宮城県から燕に来て一代で会社を大きくしてきたので、市議になったのは60を越えてからでしたが、本当に思慮深くこういう人に燕市を任せたいと思える存在でした。

そんな叔父が市議になってからよく、若いうちに市議にならないと時間かけて取り組むことができないし、自分の主張を通すことができないと言っていました。

そして、20代だった私にこのまま後を継いで燕市議にならないかと本気で言ってくれていました。

私自身はその頃まだ剣道を教えることに情熱を傾けたり、その後、燕市の職員になったばかりだったこともあり、燕市のこと、とりわけ分水や吉田のことについて知識が浅く、自分にそれだけの自信もなく、とても市議なるということを考えられない人間でした。

叔父はその後、体調不良もあり2期で辞めましたが、いま思えばこの頃からなんとなく「市議」ということがずっと自分の頭の片隅にずっとあった気がします。


そして、今年5月に行われた県議補選。

私自身が応援したい候補として柴山唯さんの支援をしたいと自ら名乗りでました。

最初は軽い気持ちで応援したいということで動いていましたが、どんどんと関わるようになり、柴山さんと一緒に選挙戦を戦う中で、そもそも選挙に出ることの大変さ、それを全力でやっていた柴山さんを見ていて、改めてこういう人に県議になってほしいと思い私自身も活動しました。


しかし、結果は次点になってしまい、開票後に陣営みんなで振り返った時にもっと自分にはできることがあったのではないか、自分は矢面に立たないところから気楽にもっとこうしたほうがいいというだけで自分は何もできていない!

そういう思いから本気で燕市を良くしたいと考えるなら自分自身が矢面に立ってしっかり自分の意見や政策を主張をして街をよくるための役割を担いたいという思いが強くなり、県議補選の開票日の次の日にこのような活動を行うことを決断しました!


自分自身どこまでできるか、まだまだ未熟ではありますが、精一杯活動していきます!

ぜひご協力もしくはご支援いただける方はこちらの後援会に入っていただけるとありがたいです。


さの 大輔

ree

コメント


bottom of page